100年前日本人在辽宁非法进行考古发掘现场图片选贴 (二)
熊岳古村落民居遗迹


辽阳近郊石棺墓(其结构像是壁画墓)




辽阳砖廊墓(晋---高勾丽)


辽阳东汉--晋 石棺墓出土的陶器一一三孔灶台、长颈等


抚顺


抚顺古窑址出土器物



抚顺出士的铁器、石器


旅顺出文物






日本人早期挖掘的资料基本都带回日本,他们以此写研究文章,有的因此成名; 出土文物能带的也基本带走,也有一部分留在当时日本掌控的旅顺关东厅博物馆。在伪满后期至1945年搞的一些资料因日本投降被迫留在中国,有些人还把小命丢在中国,这也是上帝给他的的“奖赏”!请参看下面资料:一九四四年の五月に駒井らの調査が行われた後、八月末に、林徳男、水田恵三、林屋源之助、北野正男という四人の模写班が京都から出発し、九月から模写作業が始まった。北野を召集で失い、三人となった作業は冬を迎え、朝墓壙内にもぐると、壁面は氷で真っ白になっているという厳しい環境であった。終戦の年を迎え、世情も騒然とする中、二月に水田が体調をくずし、入院する。食料不足と過労で四月にはまた一人、林が入院し、残された林屋一人だけが冷え冷えとした墓壙内の作業に精進することになった。途中、林が復帰して、この困難な作業は終戦間近の七月下旬に完了するが、そのまま遼陽で敗戦を迎えることになった。先に入院した水田は終戦直後の混乱の中、遼陽で死去する。残りの二名は模写をある人に託して翌年帰国することになる。その後の模写の行方は杳として消息を絶っているという[林・林屋・北野一九五二]。( 注:文中提到的“模写”,就是临摹辽阳的壁画,这批资料没能带回日本,今天在省博物馆收藏 )
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